和田藍が語る「器と暮らし」

その2
人生を変えてくれた、安藤雅信さんの器




私が器というものが大好きになったきっかけは
安藤雅信さんのパンリム皿を見たことだった。

それまで、
日々の暮らしの料理をつくるなかで
自分なりに器づかいには気をつかってはいたけど、
その気づかいをさらに深いものにしてくれたのは
安藤さんのうつわだった。

マットすぎず、ほどよい馴染み感がある。
そして完璧すぎない緩やかな曲線。たわみ。

お皿って、こんなに心惹かれるものだったっけ!
こんなにパンケーキが可愛くおいしく食べられる!

そう感じた瞬間、
一気に安藤さんの器の虜になってしまった。

そして、安藤さんの器探しが始まる。

陶芸界でとても有名で人気の安藤さん。
そうそう簡単には手に入らない。
店頭に並んではすぐに完売。
常設で残ってる店なんてほとんどない。
ましては自分の欲しいものがあるなんて奇跡的。

我が家に迎えいれるなんて、きっと夢なんだろうなぁ。
なんて考えたり。。。
でもやっぱりあきらめきれなくて。

そんなときに発見し、出会ったのが「萬器」なのだ。

すぐにお店に行き、
店内を見渡して安藤さんのリム皿を探す。
似てるものがあれば駆け寄って手にしてみる。でもちがう。
やっぱりないかぁ。。。

そんなとき、
オーナーの久保田さんがあたたかく声をかけてくれた。
「何かお探しですか?」

きっと、私の意気込み、そして消沈ぶりが
見て感じとれたのだろう。
ガクン、と肩が落ちていたと思う 笑

安藤さんのリム皿を探しているんです、と答えると
直径はどのくらい?色は?形は?リムの幅はどれくらい?
ちょっと絵に描いてみて?

と、すごく細やかに話を聞いてくださった。
そして、

「 安藤さんに今電話かけて聞いてみますよ。
 もし手持ちの分がなかったら、今から作ってもらいます。
 彼とは長い付き合いだから大丈夫。
 お時間はいただくけど、お急ぎではないかしら?」

と。
そしてほんとにすぐ、その場で電話をかけてくれた。

「 かっこいい! 」

素直にそう思った。
あたたかくて、頼りがいがあって、仕事ができて。
久保田さんには只ならぬオーラを感じた。

久保田さんと安藤さんが電話で話しているあの時間、
傍らで私はすごくドキドキして、胸が張り裂けそうだった。
あ、今、夢を叶えようとしてくれてる。嬉しい、嬉しい!

あの日の衝撃と感動は今でも鮮明に覚えているし、
きっとこの先も忘れることなくずっと心に宿り続けると思う。

それから、何度か企画展などに足を運び、
萬器という店が大好きになった。

そして忘れもしない2012年1月。
お会計をしていたとき、ふっと久保田さんが立ち上がり、私にこう声をかけた。
「うちで働いてみない?」

心臓ばっくばく。
頭が真っ白になるなんてない、なんて思ってたのに
あぁ白くなるもんなんだ、ほんとに。

ずっと、ずっと、器に携わる仕事がしたいな、できたらいいな。
と思っていた。
主人からも「萬器さん、すごいいいやん。働けたらいいな。聞いてみたら?」
なんて言われてたけど、「無理だよーーーームリムリ!」って。
私なんて勤まりっこないし、幼稚園に通う娘がいたら時間も融通利かないし...
ってあきらめてた。私たち夫婦にとっても萬器は憧れのお店だった。

そんな憧れの店に、今こうして スタッフ として立っている。

久保田さんと、萬器と一緒に過ごして丸2年と4ヶ月。

器の知識、作家さんとのかかわり、お客様とのかかわり、
話し方、立ち振る舞い、こころざし。
久保田さんからは日々学ぶことが本当に多く、
うつわ屋として、人として、おとなとして、女性として
尊敬するところがたくさん。

久保田さんみたいになりたい。
久保田さんのようにうつわ屋のプロになりたい。
そう心から思う。

萬器と出遭えたこと、
久保田さんと出遭えたことは私の誇りでもあるし、一生の宝物。

まだまだひよっこで、未熟者だけど
数年後、胸を張って「うつわ屋です!」と言えるように
また今日も、明日も、店に立って日々学び頑張っていきたい。

萬器と久保田さんと、結びつけてくれた安藤さんの器。

「陶芸界を変えた人」と語り継がれる安藤さんだけど、
私の人生も変え素晴らしい方向へと導いてくれた。

どうぞ、ぜひ、
安藤さんの器を見にいらしてください。
手にとってみてください。

器がはじめての人も、きっと、感じる何かがあるはずです。
そしてきっと、皆様の食生活、暮らし、心を豊かにし、人生をも変えてくれるはず。

安藤さんの器には
そんな不思議なチカラがあると思います。




小林奈々美が語る「器と暮らし」

その2
ガラスのうつわの魅力




河上智美さんの器はなんとも温かい。
ガラスに 温かい という言葉は
アンバランスな気はするけれど
手のひらに感じる表面の質感は
少し厚みがあって滑らかでほっこりしていて
生活にすーっとなじんでくれる。

ご本人にはお会いしたことはないけれど
あったかい人なんじゃないかとその人柄や
ガラスに息を吹きかけていく様子を想像してみる。

盛り付ける食材はいたってシンプル。
ちょっとお高めのトマト。
お豆腐屋さんで買った寄せ豆腐。
活きのいいタコ
おばあちゃんちのゴーヤ。

洗っただけ、切っただけ、
手間をかけないズボラな料理。
だけどそのシンプルさがちょうど良い。

手の小さい私にも取り扱いやすい大きさで
普段使いしやすいのは
きっと使う人の生活を想像しながら作られているから何じゃないかな
と思いながら、ガラスの中のゴーヤを食べた。

うーん、夏の味がする。




シノハラトモユキが語る「器と暮らし」

その2
松本寛司さんの木のカッティングボードのこと




最近は時間ができたら山に登ることが多くなりましたが、
山に登る理由の1つに
「暮らしと自然のかかわりを肌で感じられる。」
ということがあります。
自然の壮大な景色は街中に住む僕からすると非日常なのかもしれませんが、
食べ物や衣服・家具にしても自然からいただいているものがほとんどで
それが「モノ」になったとたん自然とのかかわりから分断されるのは
怖いことだと思っています。

山で好きな木をみつけるとしばらく触れてみたり、
木の幹の表情を眺めたりすることがあります。
松本さんの木のカッティングボードを見たときにその豊かな表情とほのかな香りに
自然の木そのものだと感じました。
「そのもの」だと書きましたが、それは「そのまま」ではなく、
手仕事の造形が木の一番いい表情を引き出しているようで
そこに木と対話した跡を感じます。

そんな豊かな表情にさらに暮らしの傷をつけていくということは
子供の身長を柱に刻むようであり、
おじいちゃんの笑いじわが増えていくようであり、
そして自然に傷を刻んでいるという感覚を忘れないでいたいと思う。

※写真は大好きな白カビサラミ




 ...